こんにちは。カウンセラーの池内秀行です
自己犠牲と愛
人間関係、家族関係、恋愛、結婚の相談内容では必ず背景にあるテーマです
自己犠牲
自己犠牲の「自己」とは、本来の自己ではありません
ここでいう「自己」は、自分の外側にあった価値観や習慣、考え方、受けとめ方などを学習したり、刷り込まれて、あたかも自分の一部のようになってしまっている部分のことをいいます
自己犠牲とは、本来の自分ではない外側から取り入れたり、刷り込まれた結果、「自己」と認識するようになった、価値観や習慣、考え方、受けとめ方に従うのではなく、それを犠牲にして、本来の人間としての自分の内側の実感や感覚(一般的には「自分のこころ」や「善意」と表現されます)に従って相手や状況に関わることです
外側にあった価値観や習慣、考え方、受けとめ方を学習したり、刷り込まれて、自分の内側に内在化された部分は「自己」ではなく「エゴ」という言い方があります
ここでいう「エゴ」は、自分本位、自分勝手という意味を含みます
自己犠牲を理解するには、「エゴ犠牲」の方がわかりやすと思います
犠牲にするのは、人間としての本来の自分のこころ・善意ではなく、こころと善意に基づいて、エゴを犠牲にすることを、自己犠牲といいます
2007年にアメリカのアディクション治療施設の視察研修に参加した時のレクチャーでエゴのことを「エゴ=格好つけ(かっこつけ)」という説明がありました
この説明をかりると、自己犠牲とは、格好つけの自分を犠牲にするということになります
この表現もわかりやすいかもしれません
愛
「愛」はいろいろな理解と説明がありますが、自己犠牲のエゴの文脈での「愛」は、「本来の人間としての自分自分の内側の実感や感覚」の中で、理屈抜きで、人間として自分の内側から立ち現われてくる、そうしたい、そう感じる、そう思う、といった身体感覚とフィーリングを伴って意識される他者や存在へ向かう善意です
自己犠牲と愛はコインの裏表
エゴに基づいて、相手の立場や利害を考慮しない、自分本位な関わりは、客観的に他者の助けや社会的に評価される結果になったとしても、エゴは満足するかもしれませんが、相手のニーズを本当に満たしているかどうかはわかりません
現実的に満たされたとしても、人として尊重されていない体験が含まれると、心から満足したり喜べないものです
また、使命感や義務感、責任感だけで、本来の人間としての自分のこころや善意を犠牲にして、相手を助けたり幸せにしても、それにより、助けた本人がボロボロになったり不幸になったら、助けられた人はそれをみてどう感じるでしょうか?
助けられた人は、心の底から喜ぶことや、安堵や安心を感じられないのではないでしょうか?
したがって、自己犠牲は、自分本位ではなく、相手の立場や利害を考慮して、考え行動することであり、そのためには愛が必要不可欠存になります
そして、状況によっては自分の現実的な利益よりも相手の利益を優先することも含まれます
この場合、自己犠牲と言えるためには、相手の利益を優先しても、自分自身は自分が既に持っているもので自分を支えること満たすことが出来ることが前提になります
相手の利益を優先したことで、自分自身が疲弊していくことや、相手に自分の大切にしていることを踏み躙られたり、本来得られる権利に基づく利益を横取りされたり搾取されているのであれば、それは自己犠牲ではなく、ただの犠牲であり、自爆になります
もし途中で気づいたら、自分が疲弊しない協力の仕方や助け方に変えていくことです
また、協力の仕方や助け方を変えるのが難しい場合は、自分自身が信頼できる第三者やカウンセラーなどの専門家にサポートを求めて、まずは自分自身を助けることが大切です
他者の自己犠牲を利用する人たちも存在する
世の中には、自分本位や自分が優位になるように、相手のやる気や善意を利用して、自分の利益を優先し他者から搾取することを当たり前のように思っている人たちも存在します
自分は善意からでも、相手に悪意があれば、やはり搾取されてしまいます
相手がこちらを尊重していない、約束や契約の内容が不平等になっている場合などは、あなたが善意であっても、それは自己犠牲ではなく、やはり犠牲や自爆になります
特に、自分が価値を認めている権力・お金・地位・快楽などを手にいれるためなら、他者に害が及ぶことを気にしない人は、自分の価値観や行動を正当化するストーリーをつくりあげて、他者に害が及ぶことを正当化し、自己犠牲的な相手に義務を強いたり、うまく行かないと責任転嫁をして自らの責任を回避したりします
そういう時は、相手に自分から搾取させないこと、自分の権利を主張すること、自分の権利を守る姿勢や行動をとることが必要です
それでも、相手が改めない場合は、関係を変える、距離をとる、関係を終わらせるなど、自分自身を守ることが必要になります
それでも相手と関わろうとすることを、自己犠牲という人たちもいますが、それは自己犠牲ではなく犠牲であり、他者との関わり方や関係性について誤解していることがあったり、自分を大切にできるようになるために学ぶことや取り組む必要があることがあるのではないでしょうか
自分が他者にしていることを振り返る視点
相手のために何かをしている時に、それが辛くて自分を苦しめている時、苦しんでいるのはエゴなのか人間としての本来の自分なのか、丁寧に確認すると、みえてくるものがあります
エゴが苦しんでいるなら、そのまま自分のこころの声に従い、自分本位から抜け出し、人間として内面的な成長と成熟さへのプロセスを受け入れて、これまでとは異なる物事への関わり方(姿勢・言動)や考え方、自分自身の生きていく姿勢など、誰もが生まれながらにもっている自分と他者の人権をお互い尊重できる言動を身につけていくタイミングなのかもしれません
一方、人間としての本来の自分が苦しんでいる時は、自己犠牲ではなく、ただの犠牲であり、自分で自分をいじめているようなものです
それに気づいたら、相手にしていること、助け方を変えていきましょう!
どちらの場合も、そのプロセスでは、自分を労わり自分のニーズを健康的な方法で満たしていくセルフケアをお忘れなく
文責 池内秀行
この記事は2011年08月11日に旧ブログに掲載していたものを2024.05.04一部改訂したものです、2024.05.06一部改訂、2024.06.07一部改訂
Wrote this article この記事を書いた人
プロカウンセラー池内秀行
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