スピリチュアルな癒し
スピリチュアルな癒しは、古くは、人間が自然の驚異に圧倒された恐怖や喪失からの回復、そして、社会生活の中では大切な人の死によって体験する喪失感の癒し、暴力や犯罪被害などで傷つけられたり失った人間としての尊厳の回復、依存症からの回復、深刻な人間関係の問題を伴うトラウマからの回復など「死」・「喪失」・「心の痛みと身体的な反応を伴う困難な状況」が関係する領域で発展してきたものです。
背景にあるもの
その背景には、身近な人間関係や他者とのつながりだけでは抱えきれない、「不安」「恐怖」などの強い身体的な反応を伴う感情的な体験をした時にともなう「孤独」「絶望感」「死の予感」をいかに抱えて生きのびていくのか?という生物としての現実的・精神的・身体的な生存レベルのサバイバルのテーマがあります。
孤独
誰しも、サバイバルのテーマが浮上する現実的な出来事に巻き込まれたり、強い身体的反応を伴う精神的・感情的な体験をした時は、人間関係や社会的な関係の中で、裏切られたり、無視されたり、気にかけてもらえず、人や社会を信じることが出来なくなることがあります。
そんな体験をすると、多くの人は、言葉にせずとも、内側で「自分はたった一人なんだ」という寂しさや苦しさ悲しみをともなう孤独を体験するものです。
スピリチュアルな体験とスピリチュアルな癒し
誰も信用できない、誰にも頼れない、頼れる人がいないという孤独を体験している時、人間は常に身体的に身を守ろうとする反応が続き、それは身体的な緊張として現れてきます。
この身体的緊張状態が続いている限り、心からの安心感を感じることは現実的に難しく、危機が去った後でも、緊張が続き、心理的にも「ほっ、としたり」「ゆったりくつろぐ」ということが出来なくなります。
そして、日常生活のなかで、その緊張は慢性化していき、慢性化した緊張は、日常生活の忙しさや、仕事や人間関係の問題とリンクしていき、本来の原因である出来事とは違うストレスによっても維持されるようになっていきます。
そんな時、日常生活とは異なる「場」にいくと、意識や思いが日常から離れて、そこが安全で安心出来る場所であれば、本人の意識とは別に、身体的緊張が急激に緩み、急激なリラックス状態を体験することがあります。
特に、日常生活の刺激とは異なる場所で、こうした急激な身体的なリラクゼイションが起こります。
その身体の慢性的緊張が解き放たれると同時に感じられる、身体からエネルギーが開放されていく体験をしているその時に、人間の力を超えた大きな存在(宗教では「神」「仏」という表現をします)を感じ、そのつながりを感じられることで、精神的にも心理的にも安全と安心の感覚がうまれ、「一人ではない」「護られている」「愛されている」「生きていても大丈夫」等、身体感覚をともなう安全・安心を感じる体験を人類は経験してきました。
こうした体験は、特に、自然環境の中で体験することがよくあります。
また、日常生活のなかでの祈りや、教会や神社仏閣、古い文化の宗教行事の場所や聖地と呼ばれる場所で、祈ったり、意識的に感謝することで体験することもあります。
スピリチュアルな体験とは、それまで慢性的になっていた、身を守るための身体的防衛反応による身体的緊張が、外側からのゆったりした刺激によって開放される時に体験する身体的体験です。
その刺激を自分の存在よりも大きな存在として、自分の身体感覚で感じ、そのつながりを実感として感じられ、意識できたときに、何か大きな存在に包まれているような感じや護られているような見守られているような感覚に包まれていきます。
そして、その包まれた感覚と共に、自分の内側でも安全で安心という身体感覚をともなう感覚を実感として感じられていくと、その安全で安心な感覚に包まれた中で、自分の内面から身体的にも精神的にも「保護してほしい・守ってほしい」というニーズと「安心・安全」といニーズが同時に満たされていきます。
この感覚と実感にともない、自分の身体の内側でエネルギーを感じられると、「不安」「恐怖」ではなく、「うまくいっていること」「幸せなこと」「希望」など生きる方向に意識が向いていくことが経験的にわかっています。
そのプロセスのなかで、再び、つながれる人、つながりを感じられる人、人を信じること、信頼する感覚が蘇ってきます。
この体験が、スピリチュアルな癒しです。
カウンセリングのプロセスの中でのスピリチュアルな癒し
カウンセリングのプロセスの中で、丁寧に身体感覚の緊張に取り組んでいくと、クライエントによっては、人とのつながりや、自分より大きな存在とのつながりを感じる瞬間があります。
その時に、クライエントの内面で、安全で安心という感覚が実感として感じられて、自分の存在や力、希望といった生きているという感覚が身体感覚をともなって内面で大きく広がって言葉で言いあらわすことができないような満たされていく体験をすることがあります。
私は、このクライエントの体験をスピリチュアルな癒しと表現しています。
こうした身体感覚をともなう実感は、傷つき体験やトラウマからの回復のプロセスでは、クライエントの認識と体験のしかたは異なりますが、必ず体験として通過していきます。この体験は、その後の人生を生きていくうえで大切なリソース(資源)になっていきます。
大切なのは、それが何かではなく、本人の実感を伴う感覚体験
クライエントにとっては、ご本人が実感をもって体験的にその存在を認識した「存在」はスピリチュアルな存在です。
このような体験をしたことがある人にとっては、一人一人、それぞれに特別なスピリチュアルな存在が存在し、つながりがあると私は理解し受け取っています。
そのことについて、他者がとやかく言うようなものではなく、とても個人的なその人にとって大切な価値のあるつながりであると理解し受け取っています。
したがって、その人にとっての個人的なスピリチュアルな存在を尊重することは、その人の存在を尊重することにもなると理解しています。それは、価値観ではなく、身体的な実感を伴うその人の個人的な大切な体験だからです。
信仰ではないスピリチュアリティと信仰によるスピリチュアリティ
但し、ここでいうスピリチュアルな癒しやスピリチュアルな存在は、宗教活動やスピリチュアルな活動の中で言われるスピリチュアルな癒しや存在とは異なります。
私は、ここの区別を知っておくことは、とても大切だと認識しています。
宗教やスピリチュアルな活動でいうスピリチュアルな存在や癒しでは、大いなる存在、大いなる力、神やその他目に見えない存在は、信仰や信じる対象として、はじめから存在しています。
その存在が人生に意味を与えるものであり生命の本質であるといった理解のもとに、宗教やスピリチュアルな活動では、その存在を説き、それを前提とした生き方を教示した義務とルールのある教義や考え方や哲学が存在して、その教えに基づいた生き方に導いていきます。
そこには個人的なものではない社会的な考えやルールや生き方の方針が存在しています。
信仰ではないスピリチュアリティは、その人が自らの体験を通して、スピリチュアルな存在と出会い、信じている存在です。
そこには存在との関係があるだけで、社会的なルールや教え生き方の方針は存在しません。
その存在との関係性のなかで、自から気づいたことやわかったこと、大切にしていこうと思う価値観が生まれ、それが既存の信仰によるスピリチュアリティで教えられている生き方や規範と同じであることもありますが、それは、その人が自らの経験を通して発見したオリジナルなので区別が必要です。
こうした、スピリチュアルな体験を通した気づきや生き方のことを思うと、本来、その存在を感じて、個人の孤独が癒されるという体験とは別の、信仰による社会性をともなう生き方を教えているスピリチュアリティと、信仰ではない個人的なスピリチュアリティの区別は、スピリチュアルな体験が、とても個人的な身体的体験でもあるので、とても大切であると理解しています。
セッションでは、クライアントが信仰する宗教やスピリチュアルな活動をしている場合は、相談内容にそのことが関係していれば、それを教えていただきながらサポートさせていただいています。
2004年03月21日作成,2020年02月28日一部改訂,2020年03月20日一部改訂
文責 カウンセラー池内秀行
セッションルームのご案内
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Wrote this article この記事を書いた人
プロカウンセラー池内秀行
個人やカップル、家族や友人同士での心理カウンセリング・セラピーを提供しています。個人の生活や人間関係や家族関係、恋愛・夫婦関係などカップルの関係性の改善、仕事の悩みや問題の解決、感情的な悩み、自分自身のこと、ストレスによる身体症状、生きづらさ、トラウマの癒しなど、日頃のちょっとしたことから深刻なことまで、ご相談内容に応じたオーダーメイドのカウンセリングを提供しています。初めての方も安心してお越しいただける環境を心掛けています。お気軽にご連絡ください。