
はじめに
こんにちは。カウンセラーの池内秀行です。
佐野洋子さんの名作絵本『100万回生きたねこ』(講談社、1977年)。
この絵本は、今でもふとした時に、ゆっくりと時間をかけて、一ページずつ味わうように読むことがあります。
そのたびに、はじめて読んだ時と同じような感覚が身体にひろがります。
私にとってこの絵本は、自分自身との関係性、他者との関係性、そして「どのように生きていくのか」、「愛すること、愛されること」について、読む度に問いかけてくれる大切な一冊です。
「誰かのねこ」として生きるということ
主人公のねこは、何度も生まれかわります。
その回数は100万回。
何度生まれかわっても、そのたびに必ず「誰かのねこ」でした。
王様のねこ、船乗りのねこ……。
そして、ある時、誰のねこでもない野良猫として生まれ変わり、はじめてそれまでとは異なる体験が始まるのです。
何より、自分から白い猫を好きになり、一緒に生きていくのです。
それまで、主人公のねこは何度死んでも平気でした。
しかし白いねこと出会い、共に暮らすようになってからは、「いつまでも一緒に生きていたい」と願うようになります。
主人公は、主体性と自分の意志を持った自律した存在として、白いねこを愛して生きていくのです。
そして、やがて避けられない別れが訪れます。
この物語を読んでいると、たとえ大切にされ、愛されていても、常に「誰かのねこ」として生きている限り、それは誰かの人生の一部として生きている体験なのかもしれない、と考えさせられます。
それが良いとか悪いとかということではありません。
ただそこには、自分自身の意志で生きているという感覚とは異なる、どこか空虚さを伴う体験が含まれているようにも感じられるのです。
そして、さまざまなねこの生まれ変わりの人生を通して伝わってくるのは、「愛される対象」として受動的に生きていると、本人が望んでいなくても、いつしか関係性が「所有する側」と「される側」という一方的な関係性に変わっていく危うさを孕んでいるということです。
自律した人と人の出合い。相互関係の中で自律していくこと。
私がこの物語が秀逸だと思うのは、主人公が好きになった白い猫もまた、主体性と自分の意志をもった自律した存在として、主人公のねこを愛することができるねこだというところです。
実際のところ、主人公のねこと出会ったときからそうだったかどうかは定かではありません。
最初からそうだったかもしれませんし、主人公と付き合うようになってそうなっていったのかもしれません。
子育てを通して、あるいは物語には描かれていない日々の暮らしのなかの他者との関わりの中でそうなっていったのかもしれません。
こうした全ての関わりを通してそうなっていったのかもしれません。
いろいろなことが想像されます。
ただ一つ思うのは、もし白い猫が受動的な「愛される対象」として生きているねこだったとしたら、そして様々な事情や生活環境のなかで、主人公のねこと出会ってからもその生き方を続けざるを得なかったとしたら……。
そのとき主人公のねこは、結果として、今度は自分自身が白い猫を「所有する側」になっていた可能性もあったのではないかと思うのです。
もし、そうなれば、結末は同じでも、物語の展開は違ったものになっていたかもしれません。
この絵本を読んで思うのは、「自分は自分である」という、一人の人間として生きているという、しっかりとした肯定感(自尊心)は、他者から「所有物」のように扱われる関係性の中だけで育むのは、やはり難しいということです。
物や所有物としてぞんざいに扱われるのはもちろんですが、大事にされ、愛されていたとしても、相手の好みやステイタスを満たすための「対象」として大切にされ、愛されている関係性では、やはりどこか空虚な感覚がついてまわるのではないかと思うのです。
社会的役割と「人として」の葛藤
そうは言っても、人間の社会や文化では、日々の暮らしの中で、誰かの期待に応え、家族や親族の一員、組織の一員として、そこで期待され求められる役割を生きていくことを学んでいきます。
そこでは、努力し頑張ることが人として評価される社会的・文化的な価値観と、それを支える仕組みがあります。
そして、そこには競争が生まれる仕組みもあり、価値基準をもとに優秀かどうかという評価も存在します。
この仕組みに慣れすぎてしまうと、いつしか自覚なく他者を物のように扱ってしまったり、自分自身も役割の中に埋もれて、「人」としての自分を見失ってしまうことがあります。
役割に適応すればするほど、役割としての自分と、一人の人間としての自分を区別するのが難しくなっていくこともあるからです。
役割を完璧にこなすことが評価につながり、それが「生きる安心感」の礎になっていることもあります。
しかし逆説的ですが、その役割の「正しさ」や「適応」、特に「過剰適応」が影響して、大切にしたい人との人間としての関係性を複雑にし、生きづらさの根っこになっていることも少なくありません。
また、期待されている役割が自分には馴染まず、適応しきれないことが生きづらさになっている場合もあります。
主人公のねこが野良猫になるまでのプロセスは、まさにこうした人間社会の葛藤を映し出しているように感じられます。
暮らしのなかで関係性を変えていく。生き方を変えていく。
絵本では、野良猫になった主人公は、一匹の白いねこと出会い、初めて自分以外の存在を愛します。
かつては死ぬことなど平気だった主人公が、白いねこと共に過ごす中で「いつまでも一緒に生きていたい」と願うようになります。
日々の暮らしのなかで、人は他者との関係性や社会的関係性のなかで、様々な役割を期待され、それを引き受けながら生活しています。
それによって成り立っていることはたくさんあります。
期待される役割を責任をもって引き受け、他者や社会の役に立つことに価値を見いだすという生き方も、現実の社会には確かに存在します。
一方で、人それぞれ、その役割の引き受け方やその意味づけは多様であり、正解は一つではありません。
そんな現実社会では、頑張っているうちに、望んでもいないのに、気がついたら他者の所有物のように生きていた、ということも起こりえます。
なにより辛く苦しいと思うのは、自分の意思に反して一方的に物扱いされたり、所有物のように扱われたりすることです。
『100万回生きたねこ』では、生まれ変わることで野良猫から新しい人生が始まります。
しかし、私たちにとっての「生まれ変わり」は、生きているまま生まれ変わるということなのだと思います。
それは、これまでの関係性を変えたり、生き方を変えていくことでもあります。
その方法やプロセスは人それぞれです。
多くの場合、それは自分一人ではなく、自分以外の存在との関係性の中で、それぞれのプロセスを通して、その人に必要なペースで移り変わっていくものだと思います。
そのきっかけも人それぞれです。
カウンセラーという立場では、人間関係の悩み、仕事上の悩み、家族関係の悩み、さまざまなショック体験やトラウマ体験などをきっかけに、その入り口の前に否応なく立たされた方々と出会います。
カウンセリングの時間そのものが、人としての自分自身と出会っていくプロセスを含んでいるからです。
2000年にカウンセラーとして活動を始めてから、さまざまな方々が相談にいらっしゃっています。
なかでも2012年頃からは、ご紹介やご自身で調べて、「自分のことを深く知りたい」「自分らしく自分を肯定できるようになりたい」「充実した毎日にしていきたい」「多くの人に影響を与えられる自分になりたい」という思いから、カウンセリングを受けに来られる方も少なくありません。
この絵本に再確認させてもらえること
『100万回生きたねこ』を読むたびに、一人の人として大切にしていきたいことを再確認させてもらっています。
そんなこともあって、この絵本は、私にとってカウンセラーとしての仕事においても大切にしていることを再確認させてくれる一冊です。
相談に来られる方それぞれのプロセスに寄り添い、協働していくために、自己研鑽に終わりはないのだと、改めて感じさせてくれるのです。
自分の現在地点を確認したい方にも『100万回生きたねこ』おすすめです。
文責 カウンセラー池内秀行
Wrote this articleこの記事を書いた人
プロカウンセラー池内秀行
個人・カップル・夫婦・家族・友人同士など、幅広い人間関係やライフステージの悩みに対応する心理カウンセリング・セラピーを提供しています。人間関係の悩み、家庭内の問題、恋愛や夫婦関係に関する悩み、職場でのストレス、自己理解や自己肯定感の向上、不安・抑うつ・トラウマの癒し、生きづらさの解消など、多様なテーマに丁寧に対応いたします。クライアント一人ひとりの背景や課題に応じたオーダーメイドのカウンセリングを大切にし、初めての方でも安心してお話しいただける環境を整えています。海外在住の方や法人のご相談にも対応しています。Zoomなどを用いたオンラインカウンセリングにも対応しており、海外在住の方で日本語によるカウンセリングを必要としている方にも多くご利用いただいています。時差や言語の壁に悩むことなく、安心してご相談いただけます。東京を拠点に、全国および海外からのご相談にも対応しています。どうぞお気軽にお問い合わせください。














